歴しぶしめぐり

玉山和尚は、生きながらこの開山堂の石室に入り亡くなったと伝えられています。

即心院跡には、薩摩藩の島津6代氏久(うじひさ)と敬外(けいがい)夫人の墓が残されています。

大慈寺は臨済宗のお寺で、門前の仁王像のほか、貴重な文化財が、多数収蔵されています。

殿様は、「お前は日本一の天気占いじゃ」とおほめになり、「日本」の名字を与えたと伝えられています。

山中氏邸は、明治15年に建てられた商家で、肥料・穀物・砂糖・油・醤油等を販売していました。

津口番所は、志布志津として栄えた前川の河口の港に置かれ、海上防備など海上交易を守っていました。

酒と旅を愛した「種田山頭火」は、「秋空高く巡査に叱られた」という句を残しています。

宝満寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教によって国家をしずめて守ることを祈願するため建てられました。

天皇は身分の上下に関わらず「志」があついことを喜ばれ、「志布志」と命名されたといわれています。

国指定名勝で、築山や水を使わず砂や小石で水を表現した枯山水を取り入れた庭園です。

国指定名勝で、築山や大岩盤の崖を鑑賞するために作られた庭園です。

志布志城は山城で、土塁や空掘などの保存状況がよく、全国から多くの観光客が訪れています。

国指定名勝で、築山の中央正面に、大きな3つの石が組まれ、枯山水として3体の仏に見立ててあります。

御前の水は、薩摩藩の殿様にこの水を汲んで差し上げたことから、その名がついたと伝えられています。

樹木の勢いは良く、国内有数の大クスで、飛鳥時代の天智天皇のお手植えとの伝説も残っています。

平成25年4月24日、志布志の日にオープンした遺跡の発掘調査の拠点となる施設です。