種田山頭火句碑めぐり
種田山頭火
句碑1
句碑2
句碑3

種田山頭火句碑めぐり

種田山頭火
旧小林写真館本店 小林銀汀 撮影
種田 山頭火
(たねだ さんとうか)
1882.12.3~1940.10.11

旅と酒を愛した昭和の芭蕉

漂泊の俳人・種田山頭火(たねださんとうか)は、昭和五年の秋、志布志を訪れている。十月十日福島(現在の宮崎県串間市)から徒歩で志布志に入り、鹿児島屋に二泊滞在しながら街中を行乞(ぎょうこつ)し、十二日志布志駅から都城へ向かっている。この間山頭火は四十六の句を詠んでいるが、この旅の日誌『行乞記(ぎょうこつき)・あの山を越えて』には、当時の志布志の様子がいきいきと描かれている。

本名は正一、明治十五年十二月三日山口県防府(ほうふ)市生まれ、生家は大地主。

大正二年荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)主宰(しゅさい)する自由律俳誌『層雲』に入門、この頃から「山頭火」の号を用いる。

大正十五年九州・中国地方を行乞流転(ぎょうこつるてん)し昭和四年熊本に帰る。翌年九月にまた旅に出る。同七年から約六年小郡(おごおり)基中庵(きちゅうあん)に入る。この時期、最も多くのそして長い旅をしている。昭和十五年十月十一日四国松山にて死亡。享年五十九歳。

没後、その放浪性や脱世俗性(だつせぞくせい)、心情や情景を素直に表現した自由律の句が現代人の心に響き、多くの人を惹きつけている。

山頭火の旅 南九州での足跡

昭和五年(一九三〇年)

  • 山頭火の旅が始まる。熊本県八代を出発。
  • 宮崎県串間市から徒歩で約二時間かけ、志布志へ。鹿児島屋へ宿泊(二連泊)
  • 行乞(ぎょうこつ)中、若い巡査に「托鉢(たくはつ)なら托鉢らしく正々堂々とやりたまえ」と注意されたことを理由に感傷的にな気分になり、この日の行乞を止めている。
    このことが原因か、山頭火は鹿児島では志布志のみの滞在で、帰路についている。
  • 午前九時の汽車に乗り、都城へ向かう途中、曽於市で途中下車している。
    汽車内では志布志での行乞を回想し、詠んだと思われる句が多数見受けられる。
山頭火の旅 南九州での足跡

種田山頭火 句碑案内図

  • 志布志へ一里の秋の風ふく こころしずかに山のおきふし 海は果なく島が一つ

    国民宿舎ボルベリアダグリ前

    • 志布志へ一里の秋の風ふく

    • こころしずかに山のおきふし

    • 海は果なく島が一つ

  • 砂がぼこぼこ旅はさびしい 秋風の石を拾ふ

    ダグリ岬遊園地入口

    • 砂がぼこぼこ旅はさびしい

    • 秋風の石を拾ふ

  • 一きれの雲もない空のさびしさまさる

    志布志駅前

    • 一きれの雲もない
      空のさびしさまさる

  • 家をもたない秋がふかうなつた

    宝満寺公園

    • 家をもたない
      秋がふかうなつた

  • ふれあい健康プラザ北側緑地帯

    ふれあい健康プラザ北側緑地帯

    • 砂掘れば砂のほろほろ

  • 松葉ちりしゐていますお休みなさい

    運動公園北側入口

    • 松葉ちりしゐています
      お休みなさい

  • 線路へこぼるゝ萩の花かな

    JR「大隅夏井駅」駅舎前

    • 線路へこぼるゝ
      萩の花かな

  • 秋の空高く巡査に叱られた

    志布志地区公民館分館前

    • 秋の空高く
      巡査に叱られた

  • 松風ふいて墓ばかり

    小西児童公園

    • 松風ふいて墓ばかり

  • 飲まずには通れない水がしたゝる

    天水氏庭園近く湧水源

    • 飲まずには通れない
      水がしたゝる

  • こゝまできてこの木にもたれる

    ダグリ源泉前パーキング

    • こゝまできて
      この木にもたれる

  • 秋の白壁を高う高う塗りあげる

    旧山中氏邸

    • 秋の白壁を
      高う高う塗りあげる

  • 波のかゞやかさも秋となった

    観光船バース

    • 波のかゞやかさも秋となった

  • 山頭火が宿泊した「鹿児島屋」跡

    山頭火が宿泊した「鹿児島屋」跡

    山頭火が宿泊した「鹿児島屋」跡には案内看板が設置されており、宿で詠んだと思われる句も掲載されています。

    ※個人宅の為、立ち入りはご遠慮ください。